私の祖父は開拓者から農業で財を成し、
立身出世した人物でした。
農業を始めた当時の若かった私は、祖父が成功した理由を理解することが出来ず、成功者の教えを聞かないばかりに、はじめての農業経営で失敗してしまいました。
しかし、若くして農業経営で失敗した経験が糧となり、今では祖父が成功した理由を理解することが出来る様になりました。
農業経営だけでなく人材育成、越境EC、ITビジネスをはじめとする複数の事業で実績を残した私が、あなたの農業経営を支えます。
成功する農業とは
”人生を楽しめる仕組みを持った農業”
を作り出すことにあります
はじめに、祖父の成功と私の失敗の話をしましょう。
国家公務員の初任給が1万円程度だった昭和30年代初め、
私の母方の祖父はパイナップル栽培で大成功を納めました。
新聞に「石垣島に1000万円稼ぐ集落が出現」と報じられ、
祖父の家の前には観光バスが止まるほどでした。
パイナップル景気が終了した後に始めた牛の繁殖でも、
石垣島を代表して品評会に参加し、賞を何回も取るなど、
牛の繁殖でも第一人者になります。
祖父は農業で億万長者になり、立身出世した人物でした。
しかし、祖父の成功は、「人身売買、戦争での負傷、石垣島開拓」
という、肉体的にも精神的にも、
筆舌に尽くせないほどの苦しみを乗り越えた先にあるものでした。
祖父は貧しい山林地域に生まれたため、
旧制小学校を卒業する前に漁師に売られました。
毎日毎日、とにかく働かされ続ける日々。
8年の年季が明ける頃には、
小学校で習い覚えていた読み書きはすべて忘れていました。
徴兵検査に合格して従軍することになり、
売られる身ではなくなった祖父ですが、
北支戦線で敵の手榴弾の爆発によって左目を失い、帰国します。
敗戦の焼け野原の中、生きていくために、
マラリアが蔓延している未開の地へ開拓者として移住します。
石垣島開拓は想像を絶するほどの困難を極めましたが、自分の意志で決めた道を諦めず、昼夜を惜しまずに働きました。
不撓不屈の開拓者精神が実り、ついに祖父は成功を手に入れます。
祖父は後世のために、成功に至るまでの苦労や体験を自伝として残します。
祖父の自伝には、
現代にも通ずる成功法則が記載されているのですが、
当時、祖父の偉大さを理解できずにいた私は、
祖父の自伝も読まず、教えもを聞かずに、
農業を始めてしまいました。
私も祖父と同様に開拓者からスタートしました。
石垣島の炎天下の中、真面目に一生懸命働きますが、借金は増えるばかりでした。
農業を始めてから10年足らずで、借金は3000万円まで膨れました。
このまま農業を続けていても借金が増えるばかりで、
いっこうに光が見えない中、
私はこの先どうやって生きていこうかと悩んでいました。
精神的に辛い日が続く中、
ふと本棚を見ると祖父の自伝が目に入りました。
祖父が存命している時には持っていなかった
素直な気持ちで本を読みました。
祖父の自伝を読み終わる頃には、
「成功するように人生を歩んでいる祖父」と
「失敗するように人生を歩んでいる私」の
違いを理解することができるようになりました。
さらに、祖父の苦労を詳しく知ることができたことも
私に大きな変化をもたらしました。
祖父が開拓して手に入れた土地は、
私が借金をする時に担保に入れてしまいましたので、
「土地だけは守らなければ祖先に顔向けができない」
という思いを強く感じるようになりました。
祖父の行動を模範として、
これまでの自分の行動を改めることにしました。
すると明らかに、物事がうまく回り出すようになりました。
開拓者精神を受け継いで年商1億円の事業を育て上げ、借金を無事に完済し、祖父が苦労して開拓した土地を守ることができた自信から、再び農業をやる活力が湧いてきました。
特に、21世紀の成長産業である農業での成功を人生の目標として掲げるようになりました。
今回、私と同じような失敗をして欲しくないという思いから、
私が犯した農業での失敗談を隠すことなくお話することにしました。
また、IT社会が本格化する時代に向けて、個人小規模農家が少人数で大きな利益を上げる方法も公開することができ、とても嬉しく思っています。
私の失敗談や成功体験を役立てて頂き、成功する農業へと導いて頂きたいと切に願います。
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